新芽 | 旅の手記 | Kota | Oneness Artist

旅の手記:新芽

久しぶりに友人達とサウナに行った。教科書通りにシャワー、サウナ、水風呂、休憩椅子というループをして「やっぱサウナって良いわ」「めっちゃガンジャ」なんてわいわい言い合ってた。最初の方は皆んな同じタイミングでそのループをしていたけど、それぞれ微妙にサウナや水風呂を出るタイミングがズレていって自然とバラバラになっていった。

氣付くと自分1人だけで休憩椅子に座っていた。平日だったこともあって周りには他のお客さんは居なかった。意識がフワフワっとする中でどこかで桶を置く音とかシャワーが出てる音だけが響き渡っていた。壁にある大きな広告を目で捉えつつも実際には何も見ていない究極にボーッとした状態だった。

ふと、視線を自分のお腹に落とすと短い小さな傷跡があることを再発見した。それは小学校3年生の時にした盲腸の手術跡だった。そんなことがあったことをすっかり忘れていた。手術から20年以上経っていた。だけどこの傷はずっとここにひっそりと居続けていた。そっとその傷口を指先でなぞった。

今では盲腸は薬で治すことが出来るらしい。でも当時はお腹を切って直接取り除いてしまう施術が主流だった。もしも生まれる時代がもう少し昔だったら、手術さえ無い時代だったら、あるいは手術とか薬とかがない国だったら、もしかしたら自分は小学校3年生の時に命を絶っていたかも知れない。8歳とか9歳で死んでたかも知れない。そう思うとあの時に延命されたこの命に何とも言えない不思議な感情が芽生えた。愛おしいような、ありがたいような、良くここまで来たねという保護者のような感覚。それとあの時に咄嗟の判断で病院に連れてってくれたお母さん。後から駆け付けてくれたお父さん。手術に関わったお医者さん達への感謝の氣持ち。そういうのがギュッとなって1つになった感じ。

 

 

「うぃっ」と言って隣の椅子に友人の1人が座った。「うん」とだけ言い返して、彼を横目でチラッと見た。あの時に生き延びてなかったらこの友人にもきっと逢えることは無かっただろうと思った。それにこの友人だって同じように延命した過去があるかも知れない。そう思うとさっき芽生えたばかりの何とも言えない不思議な感情が少し成長した氣がした。

バラバラになっていた友人達を集め、最後にまた皆んなで一緒にサウナ室へ入った。皆んなで一緒が良かった。ジュウジュウと蒸気を上げて唸るサウナストーン。溢れるハッカの香り。高温に熱せられたサウナ室。スマホも洋服も持たず、文字通りの全裸で30を超えた男達で子供のように「あちぃ! あちぃ!」と言って笑い合った。

目を閉じてゆっくり呼吸をした。そしてまた指先でそっとお腹の傷跡をなぞった。この何とも言えない不思議な感情を枯らさぬよう、大事に育てて生きていきたい。