旅の手記:青くて、遠くて、広い空。
"If I had my life to live over." イギリスの詩人、ナディン・ステアが残した詩だ。「もし人生がやり直せるなら」その詩の中では、意外なことに「もっと馬鹿げたことをしていただろう」と書かれている。馬鹿げたことをする。一見それは非合理的で、無意味のように思える。 でも実際に死に直面した時、この地球を離れる最後の時は、人はそう思う生き物なのかもしれない。
友人に誘われ、オランダ南部の街マウストリヒトへと旅をした。 そこで開催されるフェスを見に行く為だった。 この陸の孤島とも言えるような、 オランダの盲腸とも言えるような、 辺鄙な場所にある街には以前も来たことがある。 その時は、旅の流れで初めて出会った人々と自転車で国境を超えてベルギーに行った。そのままとある小さな村で夜のカーニバルを見た。ある意味、馬鹿げていたことだったかも知れないし、 素晴らしい人生体験の一つだったかも知れない。何れにせよ、自分はこの街には不思議なご縁があるのかも知れないと思っていた。
フェスの会場が近づいてくると、 胸の奥の方へと響く重低音が伝わってきた。 ゲートをくぐり抜け、 広い会場を散策すると、 大勢の人々が音に合わせて踊り、歌い、 わかりやすい程の大騒ぎをしていた。 今日は肌寒いと感じる一方で各ステージ付近では上裸の人々が一定数いた。 酒を片手に、 肩を組み合い、踊る姿は小綺麗な海賊に見えなくもなかった。
明らかに何かドラッグを摂取したような人々は大抵ステージの前の方に集中していた。 彼らは今この瞬間が人生で最高の瞬間だというような空氣を纏って、夏休み初日に思い切り遊ぶ子供のような笑顔を咲かせていた。ヨーロッパと言う、ある意味生きるのに過酷な地域では、ドラッグとフェスとが手を繋いでいることがわかった。ドラッグを摂取して、大音量の音楽に合わせて踊り、自己表現し、笑い合う。日頃抱えているストレスをリリースするかのように、あるいはこの瞬間の為に今まで働いてきたかのようでもあった。会場にはご老人の方々も多く混じっていた。彼ら彼女らは笑顔で久しぶりという感じでハグし合っていた。つまりそれはかなり昔からこの文化が続いていることの証明だった。
目に前に広がる日本では見ない光景。あまり考えたこともなかった文化的な背景。簡単にそれらのことを未熟でいて偏見だらけの自分の物差しだけで良い悪いと決めつける事はナンセンスだと思えた。ただ純粋にこの土地には、こういう文化が昔から脈々と現代まで続いていると言う事実だけを噛み締めていた。日本で言えば、きっとお祭りがそれに当たるのだろうと思いを馳せた。そして、今その異文化の中に遠い島国出身の自分が存在している状況は、洋食のビュッフェの中に、突如として迷い込んでしまった小さな梅干しのようだった。

人気アーティストがステージへ降臨すると、会場のボルテージは1ギア、、いや2ギア程、上がったように沸いた。この時、自分の左手には純粋のMDMAの結晶が握られていた。ドラッグの中には、絶対に手を出してはいけないものが多くある。そういったものは自分で調べて絶対に回避しなければならない。しかし、乱用しなければ使っても構わない、むしろ自分の心を解放する手助けをしてくれるドラッグが存在することも事実だ。お酒やガンジャ、言ってしまえばコーヒーや砂糖もその類だと思う。純粋なMDMAもまさにその後者の1つであった。PTSDに効く薬として医療の現場でも使われる物だ。MDMA自体は、以前に一度だけ経験があった。ガンジャやお酒とはまた異なるメロウな効きと記憶していた。信頼している人から頂いた微量のそれを郷に従うように会場の脇でぺろっと食べた。その独特な苦味を水で流し込み、また熱狂の中へと戻った。
そもそも、ちょっと前にガンジャも吸っていた。ふわふわとする感覚に更に独特なメロウな効きも乗っかってきた。白熱する会場のビート。昔からの友人のように踊り合う人々。彼らはとても楽しそうでやっぱり無邪氣な子供みたいで愛しく感じた。積み重なった爆音のスピーカーを前にしながらも、自分はどこか安全で静かで優しい場所にいる感覚に陥っていた。昔にグアテマラで富士山よりも高い山に登山した時も不思議と似たような感覚に陥ったことがあった。凪の日の早朝に波紋が一切立たない澄んだ湖を見つめているような、湖そのものでもあるような感覚だった・・・。
長く、長く、人類は争い続けている。哀しいが今現在もどこかで戦争の火が吹いている。苦しみ、路上で死んでいく人もいる。でも、今、ここ。この瞬間には平和そのものが存在している。全員が1つの良い波動に共鳴している時の中では、国籍も言語も宗教も年齢も権威も、その全ての垣根を超えて1つになれている。きっと人類はもっと仲良くなれる。状況もきっと良くなれる。。祈りのような、確信のような想いが全身を巡った。肯定するように何度も1人でうなづいた。ライブが終わると、それなりに疲労していた自分がいた。まだまだフェスは続くようだったが、僕と友人は足早に会場を後にして静かな公園へと足を運んだ。それがとても自然な成り行きだった。

靴と靴下を脱いで芝生の上に横になった。なんて優しく、柔らかく、新鮮な感触なのか。地面と顔が並行になることで初めて見れる小さき住人視点の世界。薬指の爪程に小さく咲く白い花々は勇敢で雄大だ。緑と土の生きている香り。静寂の中、虫や鳥は風と共に歌っていた。風は温かくもなく、寒くもなく、身体を高級毛布のように包みこんだ。指と指の間では風を掴めていた氣がした。空は青くて、遠くて、広い。遠くの木々達はフサフサと仲良く踊り合っている。
何を言うでもなく、太陽は天高い所から世界に暖かみと光を与えてくれていた。何を言うでもなく空氣は吸う息と共に身体に入ってきてくれて、吐けばすぅっと出ていってくれた。自然はいつもあるがままにそこに居てくれて、見返りを求めずにその全てを無償で提供してくれていた。この身体も自然と同じようにドクンドクンと無償で私を生かして続けていた。それら全ては当たり前のようでいて、当たり前のことではない。そんな事実に感動し、感謝した。この世界は、この日常は、本当になんて恵まれていて、なんてありがたいことなのか。
この美しい自然を、
地球を大切にしたい。
人類には希望がある。
きっともっと良くなれる。。。

再びこの陸の孤島とも言えるような、 オランダの盲腸とも言えるような、 辺鄙な場所にある街にはやはり不思議なご縁があるのだろう。そして、自分という1人の人間が地球を離れる時までに、地球と人類に対して何ができるのか。何をしたいのか。なぜ生まれてきたのか。きっと何かある。それはアートかも知れないし、別のことかも知れない。答えはすぐに無くても良い。でもこの感覚を得られたからには、自分なりの探求と行動は続けて生きていたい。目の前に咲く薬指の爪程に小さい白い花はこちらを見つめる訳でもなく、話しかけてくるでもなく、ただ静かに側に居てくれた。青くて、遠くて、広い空を見つめ続けた。遠くでは数羽のカモメが甲高く鳴いていた。その内の1羽はこう言った。「でも案外、人生は非合理的で、無意味のように思える、もっと馬鹿げたことをしても良いのかも知れない。」
P.S.
本内容は、あくまで個人体験と考察であり、違法行為を推奨する意図はありません。