旅の手記:また帰っておいで
関西へ数日間の1人旅をした。理由は、受けたいセミナーが大阪で開催されること。そして、今、人生に色々なことが重なって起きていて1人旅(自己対話)をしたかったこと。この2つが重なり、居ても立っても居られなくなった私は飛行機のチケットを買っていた。それなりに旅費も掛かるし、遠いし、自分の主催するイベント(仕事)もすぐに控えていた。だから行くかどうかはかなり悩んだ。でも結局、今行動をしない自分が嫌だった。今、人生に色々起きていることを、数年後か10年後か未来から振り返った時にこのタイミングで色々起きて良かった!と。そう思えるように、誰も恨まないように、正解にする為に、とにかく行動をしたかった。
いざ当日、お昼頃。飛行機に乗り込み、窓の外にある大きな銀の翼を見ながらボーっと離陸を待っていた。何故だかわからない。でもふっと奈良に友達がいることを思い出した。脳の仕組みはとても不思議だと思った。ずっと「考えていた」のではなく、急に「受信した」という感じがした。その友達は6年前にメキシコで出会った夫婦だった。オカさん(夫)と、なっちゃん(妻)と呼んでいた。僕も彼らもその時はバックパッカー生活をしてた。そして、お互い帰国してからは一回も会ったことはなかった。大阪から奈良までは1時間くらいで行ける距離だと分かるとなんだか無償に彼らに会いたくなった。でも、最後に会った時から随分経つ。。急に会いに行きたいとメッセージを送ってもいいものだろうか?迷惑じゃないだろうか?そう悩んでいると飛行機がゆっくりと動き出した。離陸の準備に入っていた。
・・・時間はいつだって限られている。いつ会えるのが最後になるか分からない。今、メッセージを送ろう。ギリギリの所でメッセージをピッと送ってスマホを機内モードにした。グングンと上昇する飛行機。身体に感じる飛行機特有の重力。窓の外にはドンドンと小さくなっていく家と街。あっという間に砂利のように小さくなった家々は巨大な電子基盤に見えなくもなかった。「あそこが今住んでる家かな?」推測しながら街を見下ろしていると急に自分達はなんて小さな小さな存在なのかと感じた。地球に生かされてる、しがみついている微生物みたいなものだと思った。そして、この世界は物っ凄く広いのに、何故あの小さな街で長い時間過ごしてきたのか。執着してきたのかと不思議にさえ思えてきた。大阪に着陸し、電波が入るとその後すぐに奈良の友人夫婦から返事があったことを知った。即答で、会いに来てくれたら嬉しい!とのことだった。僕は喜びを抱えて次の日に奈良まで足を運んだ。

夜の7時ごろ。奈良市街から離れ、細長い田舎道を進み、丘の上にある彼らの家まで辿り着いた。緑が多いその場所は新鮮な山の香りがした。あたりは段々と薄暗くなっており、虫達が綺麗な歌を歌い始めていた。取り巻く全ての要素から随分遠い所まで来たんだなと思った。
そして、ついにお互いが笑顔で久しぶりの再会をした。久しぶりに会えたこと。それだけですごく嬉しかった。また、すぐ近くにあった彼らが今まさにDIY中という家を見せてくれた。ちょうど自分達の手で古民家を本格的に修繕していたタイミングだった。剥き出しの壁や柱、辺り一体に散らばる機材や塗料が言葉以上に多くの苦労を物語っていた。一緒に2階にある屋上に上がらせて貰うと平たく広がる奈良の夜景を拝むことができた。キラキラとどこかの国の民族衣装のように輝く街は僕が離陸した時に見下ろした東京よりもずっとドラマチックに見えて溜息が漏れた。
「この家の修繕が終わったら実際に住む家にするし、旅人の宿泊施設にもしようと思ってて。あと何かのイベントの会場としても機能させる予定なんです。」と、隣に居たオカさんは語ってくれた。本業の農業との並行作業は恐ろしく大変だとも言っていたが、未来のビジョンを語る彼の目は、奈良の夜景よりもキラキラと輝いて見えた氣がした。
再び彼らの生活している仮家に移り。本業で収穫した野菜を使った手作りの料理を食べさせてくれた。移動で疲れきった僕の心身には染み入る美味しさだった。と、同時にメキシコの同じ宿で彼らと過ごした日々が戻ってきたようでもあって凄く不思議な感覚に包まれた。お酒も飲みながらお互いの会っていなかった時間を取り戻すように和氣藹々と色々な話を沢山した。
そんな中でふと、オカさんがこう言った。「やるか、やらないか。」人生、どんなことも、結局は、この2択だけだよねという話だった。そして、その判断基準は「楽しいか、楽しくないか」でいつも決めていると。何故なら、人はいつ死ぬかわからないから。そして、将来の為に今を我慢するのではなく、今を楽しむから将来がずっと良くなるものだから。と話していた。彼の言葉は妙に説得力があり真理を突いていると感じた。そう言うオカさんは着々と夢を一つ一つ叶えており、人生でその言葉を体現していた。
そして、オカさんはゆっくりと続けて喋った。「人は大人になるに連れて後先のリスクばかりを考えてしまい、動けなくなることが多くなると思う。だから直感で動くということはとても大事だと思う。」「確かに」と静かに心の中で思った僕は「直感って実はいつも正解なことが多いですもんね」と返した。彼は否定もせず肯定もせずただゆっくり頷いて、一呼吸置いてこう答えた。「正解も不正解も無いと思う」

そんな楽しくも学びの深い素晴らしい時間が流れていた。その流れの中にずっと身を置きたかった。しかし、氣付けばあっという間に大阪への終電の時間が迫っていた。じゃあそろそろ解散という空氣が流れると終始明るくて優しいなっちゃんが笑顔ですごく当たり前な感じで言った。
「いつでもまたここに帰っておいで。」
それに対してつい僕は言葉じゃない言葉でよく分からない返事をしてしまった。なっちゃんもオカさんも「なんやそれ」と笑っていたが、人はひどく感動をすると咄嗟に上手く言葉を発せられないと知った。「また遊びに来て」ではなく「また帰っておいで」すごく、すごく温かい言葉だ。
暗闇にポツンと光る最終電車にギリギリの時間で乗り込んだ。彼らが共有してくれた愛の言葉、暖かい人柄、優しい時間をそっと大切に抱えながら駅まで見送りに来てくれた2人に大きく手を振って別れた。
