旅の手記:ふわふわアムステルダム
暑くも無く、寒くも無い、ちょうど良い氣温でいてカラッとした空氣が心地良い。少し歩けば運河に出くわし、至る所に橋があった。橋から川を見下ろすとハスの葉が川の遠くまで広がっている。その中を鴨の群れが泳いでいる。綺麗だ。でも時折、風に乗って死んだ魚のような匂いがする。街中にそびえ立つ高い木々からは鳥達の多種多様で可愛らしい歌声が聞こえてくる。そんな鳥の声のようにすれ違う人々も多種多様だ。様々な人種・バックボーンを持った人々が足早に行き交っている。白人、黒人、アジア人、アラブ系、ユダヤ系、子供、老人、男性、女性、性別不明…etc。彼らとすれ違う度に異なる香水の香りを感じる。まるで空港にいるかのような錯覚を覚える。
オランダ・アムステルダムという街に着いてもう1ヶ月間程が経った。この国に移住ができるように手続きや家探しなど毎日何かしらをしている。とても難しいこともあるけど日々が新鮮で充実している。ここに来る前は、巨大な葛藤と恐怖があった。その全てのネガティブな感情が今も無くなったわけではない。でも、複合的な理由で実際に私は今この地に居る。ここで生きている。
観光ビザから個人事業主ビザに切り替える為、電車やバスやトラムを乗り継いで大使館や外務省に往復した。一方で多くの時間は、家探しに充てていた。なぜなら、この国では家探しは最も難しいことの1つだったからだ。近年、特にひどい住宅問題を抱えており、需要に対しての供給(家)が恐ろしく間に合っていない。この国に住みたいのに、家が見つからなくて住めない人(帰国してしまう人)が多く溢れている。そもそも現地人でさえ家が見つからない。更にそんな状況に加えて戦争による難民も押し寄せているし、こんな状況に応じての悪質な詐欺も横行し続けているという具合だった。それでも、運良く、いくつか物件の内見に行くことができた。内見に行けるだけで凄いという異様な世界感だった。
その内の1つは恐ろしく古い建物だった。指定された場所と時間に行くと、2、30人の人だかりが出来ていた。「まさかな」と思った。でもそのまさかだった。皆んな、内見者だった。しばらくすると。「ウェルカム、ウェルカァム〜!」と大きく甲高い声が聞こえてきた。その声とは裏腹に巨漢のオランダ人男性が現れて独特な手招きの仕草をして、例の物件のドアを開門した。ゾロゾロと皆んなで入った。その光景は遊園地の何かのアトラクションに見えなくもない。
中は広かった。大小様々な部屋があったが、歩くとギィギィと床が鳴った。壁は剥がれ落ち、天井にライトも無く何本か配線コードが出てるだけだった。ハリーポッターの撮影セットに出て来ても不思議ではないと思った。また、家賃は日本円にすると高額だった。スケルトンと言われるタイプの家でこういう本当に何もない状態の部屋を好んで借りて好きにDIYしたい人が一定数いるらしかった。
内見者達は、思い思いに話していた。僕は彼らのオランダ語が何を喋っていたのかは一切分からなかった。外に出ると、涼しい新鮮な風が吹いていたが、いまだにゾロゾロと新しい内見者達が入室を続けていた。一体、合計で何人来たのだろう。近くの公園のベンチに座って水を飲んだ。そもそも自分はここでは外国人だし、どこかの会社の正社員でも無い。それでいて、この競争率。今、仮住まいさせていただいてる家はあと少しで出る必要がある。晴天の公園にて、雨雲のような思いがふわふわと頭をよぎる。

数日後、必要最低限の荷物を持ってアムステルダムの中心地へ向かった。もう今日という日は一旦忙しさを脇において、純粋にこの街を楽しんでみようと思った。考えてみれば忙し過ぎてまだ中心地を観に行けていなかった。地下鉄を乗り継ぎ、地上に出ると、そこにはメルヘンチックで可愛い街並みが待っていた。遊園地のようでいて、映画の世界のようなだった。素敵だ。沢山の運河、橋、自然、多種多様な人々、漂うガンジャの香り、シナモン系の甘いスイーツの香り。空には西洋美術の風景画のようなふわふわした雲が広がっていた。その全てが新鮮そのものだった。
川に面した街角のカフェのテラスでラテを飲んだ。そこで行き交う人々を観察してみた。上裸で上機嫌で闊歩するおじさん。爆走する自転車達。奇抜な色の髪と髭を携えた人々。大音量で音楽を流している人。完全にStonedになっている(ガンジャの過剰摂取で動けない)人。この街には本当に多様性という言葉がよく似合う。良くも悪くも皆んな他人には興味が無いようにも見えるが、同時に自由に自分らしく人生を表現しているようにも見えた。
「この地に来た意味はあった。」そんな彼らを見ているだけでそう強く思えた。
コーヒーショップでガンジャを買ってみた。この街では当たり前にどこにでも売っているし、人々は至る所で吸っていた。先端に火をつけて、細くゆっくりと吸った。ジジジと火が小さく鳴る。煙が肺をゆったりと満たした。独特な香りだ。嫌いじゃない。少し胸の辺りがむず痒い感じがしたけど、痛くはなかった。そのまましばらく息を止めた。やがて小さく開けた口からゆっくりと煙を吐いた。そのスピードに合わせるように、背もたれにゆっくりと体重を預けた。
段々とやってくる特有のふわふわした陶酔感。懐かしい感覚。グーッと下に引っ張られるような、上に持ち上げられてるような不思議な感覚。どこかで流れている音楽が、すぐそこで生演奏をしているように心身に響き渡ってくる。その心地良さから自然と笑みが溢れる。「あぁ、これだ。」まるでサウナでいう整う感覚だ。ありがたい。ここずっとふわふわと自分の中を漂っていた雨雲を割くように陽がさした氣がした。温かくて優しい幾つもの光の線が地上を照らした。そこには全身で喜び、空を見上げたつくしがいた。
大丈夫、きっとなんとかなる。根拠はないけど、なんとかなる。絶対に大丈夫でしょ。きっと見つかる。それにもし、色々なことが「上手くいかなかった」としても、それはそれで必然なことなんだと思う。きっと人はいつだって導かれるべき場所へ導かれている。だから、「上手くいかなった」とは、その時の自分がある事象に対して決めつける烙印のような物た。言ってしまえば、幻想に過ぎないと思う。少し遠くの未来の自分から今の自分を見た時、それも大事な布石の1つだったよと、きっとそう思える。だから結局のところ、全部大丈夫なんだ。このまま進んでいけばいい。こうして休むことだって大事だ。休むこと自体も大事な布石の1つだからだ。「道」はこれからまだまだ続いていく。一歩ずつ自分のペースで歩いて行こう。
静かなる確信と安心を胸に感じ、もう1度、細くゆっくりと煙をくゆらせた。つくしはグングンと空を目指した。個性的な人々は誰の目を氣にすることもなく、行き交い続けた。
