夜のカーニバル | 旅の手記 | Kota | Oneness Artist

旅の手記: 夜のカーニバル

オランダのマウストリヒトという初めて行く街を1人旅していた。そこで不思議なご縁でその日初めて出逢った人々が誘ってくれた。「夜にベルギーのGellikという小さな村でカーニバルがあって。ここから自転車で行けば4, 50分くらいで着けると思う。一緒に行ってみる?」

この前から色々な事象が重なり、どこか勝手にシンクロニシティとか導きとか呼ばれるようなものを感じていた。一応、人並みに悩んだ。好奇心は強い方だけど、当然、怖い。夜のヨーロッパで初めて会う人達と一緒に国境を自転車で超えた先にある小さな村のカーニバルを見に行く。楽しそうな響きの中にはリスクが内在していたのは明らかだった。当然頭では分かっていた。もしこんなことを親しい人がやろうとしてたら、きっと自分は素直に行ってらっしゃいとは言えないと思う。でも、時に人は論理を脇に置いて直感を信じて冒険してしまう。初めて門限を破った時のような高揚感と恐怖心、そして冒険心を持って黄色と青のレンタル自転車に跨った。

結論から言えば、カーニバルは凄まじかった。端的に言えば、強烈なお祭り。エレクトリックパレードのように装飾された眩しい光を放つ数十台の大型トラック。その周りをビールを片手に踊り狂うコスプレした沢山の老若男女。夜の小さな村の住宅街でやる音量じゃなかった。爆音のドラム音に合わせて胸のあたりが振動していたのがわかった。こんなのが許されるの?とさえ思うくらい異常な騒ぎだった。そんな光景を見つめながら、時折ガンジャを嗜んだ。そして、郷に従うように、たまに現地の人々に混じって踊ってみたりもした。そんな風に少し踊ってはやめてを繰り返していた。私はその独特な雰囲気に完璧に馴染んでいるようでいて、全く馴染めてなかったようでもあった。

強烈なものを目の前にしておきながら、私の頭の中では自転車でこの場所に来た時のことを深く深く思い出していた。トルコ人、オーストリア人、オランダ人、日本人。私達は文化も母国語も年齢も全てが違った。けれど、偶然出逢い、同じ目的地を目指す仲間だった。寒い風を切ってペダルを漕ぎ続けていた。何度か馬糞や薪が燃える香りなどを通り過ぎた。あたりは地平線の果てまで平らな草原が広がっていた。前方にはサーモンピンクの広い空、後ろには夜になろうとする薄い青がゆっくりと迫ってきていた。私達のペダルを漕ぐ音だけが鳴り響いていた。このシュールな状況に対して笑えるなと思いながらも、この物凄く広い世界でいて、長い長い年月の中で、人々がお互いに出逢う確率というのは一体何パーセントなのだろうと考えていた。きっと理解を超える程の天文学的な数値にはなると思う。だからこの数奇なメンバーで、夜のカーニバルを目指して、この道を、この空の下を、この瞬間を、子供のように自転車で走り抜けるなんてことはもう二度と起きないだろう。当たり前だけど、この瞬間は、この瞬間にしか存在していない。文字としては分かってはいたけれど、それを強く感覚として味わえる不思議な瞬間だった。

「美しい」

ふと内面から湧き出た言葉。それはこの状況や景色に対しての感想だった。けれど、同時に感情でもあった。人間には嬉しいとか、悲しいとか感情があるけれど、「美しい」という感情もきっとあるのだと思えた。それは心が光溢れる悦びを放っているのに、どこか儚い切なさを内包していた。夜空に消えていく打ち上げ花火のようなものだった。出会っては別れてを繰り返すからだろう。思い返すと私はどこかへ旅をする度にこの「美しい」という感情を無意識的によく抱いていたことがあったと氣付いた。そして、その感情に浸るのは大好きだった。もしかするとこの感情を求めて私という人間は多くの場所を旅し続けているのかも知れない。いや、もっと言ってしまえば人生という大枠においても常にどこかで「美しい」の感情を求めて生きて来た節が結構あると思った。

 

ッチャッチャッチャ。ある地点から遠くの方で、小さく一定のリズムで音が鳴っていたことに気付いた。きっと、あれがカーニバルだ。本当?いや、間違いない。そんな会話をそれぞれが口々にした。私達は目を輝かせながらペダルをさっきよりも少しだけ力強く漕ぎ始めた。空と平原が広がるだけの道の先。地平線の端っこの方にポツンと小さな光が見えてきた。ズンチャッズンチャッズンチャッ。音は明らかに大きく成長していた。一体、どんな光景が待ってくれているのだろう。

ふと我に返ると、爆音でギラギラに光るトラック達と踊り狂う人々がまだ目の前にあった。なんだか、随分と長くこの場所に居る気がした。少しその場で伸びをして首をゆっくりと回した。前方の夜空の中心には大きな北斗七星が密かに浮かんでいた。1人でじっと目を凝らし続けると段々と、しかし確実にクッキリと見えてきた。夜空には北斗七星だけでなく本当に沢山の星々が瞬いていた。

その時やっとわかった気がした。「美しい」という感情は私に「今、自分はここに生きている」を強烈に実感させてくれるものであると。この「今、自分はここに生きている」という強烈な実感は、自分にとって最大級の幸福であり原動力なのだと。実際に数値化できるものじゃない。けれど、もしかしたら、自分という人間は他の人達よりも生きている実感が薄いのかも知れない。あるいは、実感できる時に中毒的に感じ過ぎているのかも知れない。だからその実感を求め続けて旅を繰り返したり、アーティストという特殊な道を進んでいるの知れない。でもそれは決して悪いことじゃない。多分、良いことでもない。ただただ自分という人間の個性であり、自分の人生という物語を航海する為のコンパスのようなものなんだと思う。

PM 10:30。私達は教会に止めていた自転車に乗り、来た道を戻った。カーニバルの喧騒は少しずつ遠くへと離れていった。行きよりも風は冷たく、辺りはもっと暗かった。誰もが黙々とただ迫り来る別れの時に向けて進み続けていた。夜空に浮かぶ北斗七星と無数の星々はいつまでも私達と共にいてくれた。

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