Free Fall | 旅の手記 | Kota | Oneness Artist

旅の手記:Free Fall

 

小さなきっかけから、グアテマラという中米の小さな国で活火山を間近で見れる登山ツアーに参加していた。自分が歩いていた所は既に標高3000mを超えていて、もう雲よりも高い場所だった。登山未経験で訓練無しでの富士山を超える標高の登山は、人生で最も肉体的に過酷な経験だったかもしれない。小柄だが、無尽蔵のスタミナを持つ屈強な現地ガイド達の後ろを延々と10時間くらい追いかけ続けた。ただの過酷な肉体運動だけでなく、道中は雨風、土砂、急斜面、低酸素、高山病、幻覚、登山者同士のいざこざなど多くの試練が待っていた。赤ん坊がなんとかハイハイで進むように、手を使って4足で登ったりする場面もあり、とにかく必死だった。

「なぜこんなことをしているのか?山という地上から突き出た突起の上まで己の肉体を自力で持っていくことに一体、何の意味があるのだろうか?」と何十回も何百回も考えては、同じ数だけ後悔していた。もう引くに引けない標高にいる。

 

 

しかし、いざ頂上付近に辿り着き、その瞬間が来ると、全ての思考がスッと止まった。

 

ドォンッッ!!!!

….ドォンッッ!!!!!

 

空に響き渡る重低音。隣接する活火山が夜空に向かって真っ赤に光るマグマを飛び散らせていた。その激しい音の振動と圧は、打ち上げ花火を近くで見た時みたいに身体の内部まで骨までビリビリと響いた。地球の唸り声という感じがした。ツアー参加者達は歓喜の声を上げていた。僕も何か一言、言葉を発したと思う。だけど、不思議と、対照的に、頭の中は妙に静かだった。

 

 

疲労の限界が超えていたからなのか、その光景が雄大過ぎたのか、わからない。波風が全く無い湖の水面のような静寂で透明感がある凪の世界が頭の中では広がっていた。やがて、その湖の中に全身で浸かるとゆっくりと深い底へと体が落ちていった。その重力に身を任せていた。その落ちていく感覚は凄く自然で凄く心地よくて、美しかった。

 

Free Fall。

フリーダイビングで深く潜る時、ある地点からは体の浮力より水圧が勝り自動で身体が水底へ沈んでいく現象のことをFree Fallと呼ぶらしい。その感覚は、まるで地球と一体化するようだと、とある経験者が語っていたことを微かな意識で思い出していた。

 

 

大きく息を吸い込み、現実へと浮上した。目の前の火山はまだ活発だった。意識的に目を大きく見開いて、何度か深呼吸をしたり、首を回したりした。活火山から目線を外して辺りを見渡すと、他の山の麓には街が広がっていた。それはイルミネーションのように、星空のように光の粒が散らばっていた。その綺麗な光景をじっと見つめながら、その一つ一つの光の中には違う人生と生活があると想うと深い溜め息が漏れた。何とも言えないしんみりしたような、大事にしてあげたいような氣持ちになった。

きっと、もっと高い所から見たら僕自身も小さい蟻みたいなものなんだろう。この3000m級の山でさえ、小さな丘なようなものだろう。地球だって宇宙の遠い所から見れば、小さな青い粒のようなものだろう。そんな全部に対してしんみりしたような、大事にしてあげたいような氣持ちになった。

...皆んな、皆んな、大事にしてあげよう。ゆっくり、ゆっくり、深い底へと僕はまたFree Fallした。ビリビリとした地球の唸り声は、しばらく響き続けていた。