旅の手記:優しい時
まだ新卒で入社した会社でサラリーマン生活をしていた頃。
毎日、スーツを着て営業に勤しんでた。毎朝早く起きては東京の満員電車に揺られ、業務量の多さから残業代は出ないのに終電で帰ることもよくあった。業種柄、土日であっても深夜であっても、時を選ばずにカスタマーサポートをすることは幾度とあった。当時の自分にとっては色々なことが限界ギリギリの状態になってた。
そこで、ゴールデンウィークの前後に有給も追加して1、2週間程、大学生の頃の留学先であったオーストラリアに1人旅を決行した。キラキラした思い出が沢山詰まっていたその場所を再び巡ることで人生の良さとか、生きる意味というものを真剣に確認したかったのだと思う。当時、長期滞在させて貰ったホストファミリーに連絡をすると、彼らは快く僕の滞在を許可してくれた。
飛行機を乗り継ぎやっと到着した異国の街はどこか以前よりも広く、澄んでいるように感じた。事前のアポ無しで前に通ってた大学にもこっそり遊びに行った。お昼休みによく通ったカフェテリア、カビっぽい匂いに安い香水を混ぜたような独特な香りの建物内の一角、定期的に同じフレーズを繰り返し言い続けるレトロで大きなゲーム機。どれもが懐かしくて、どれもが親しみがあった。そこに当時の自分や、出身国が様々な友達たちの幻影を見た氣がした。笑顔で談笑し合ってたり、ふざけ合ってる内に少しだけ喧嘩みたいになり合ってたり、真剣な形相で大事な試験に挑んでいたり。もうあの瞬間や体験、出会いや別れは2度とない。その紛れもない事実を思い、感謝と感傷が混じったものを胸に感じた。
当時の友達の何人かは各々の国にはまだ帰国せずに在学していた。図書館の前や校庭で突然、久しぶりの再会にお互いが声を上げ、目を見開いて感動し合った。当時は和氣藹々としてた仲なのに、久しぶりに会うとやけにクールな態度の友達もいて、どこか残念に思った。一方で、大事な宿題や試験を抱えていたのにも関わらず「もう、そうなものはどうでもいい!今は君と時間を過ごしたい!」そう言ってくれた情に熱い友達もいてなんだか泣きそうになった。内心、自分もこういう人間になりたいと思ってた。
その場の流れで、知人友人達を集めて泊まり掛けで大自然の中でキャンプファイアをしよう!ということになった。結果的に10人以上集まることになった。自然豊富な友人宅まで数時間掛けて友達の荒々しい運転で移動した。昔、流行っていたBackstreet BoysのをI want it that wayがカーステレオから流れると、友人はボリュームをぐるっと回した。それに合わせて車内の皆んなが歌い出した。僕は爆音に包まれながらも、どこまでも続く地平線を目に焼き付けるようにカーウィンドーからボーっと見つめていた。到着する頃にはオレンジ色の温かい夕日が世界を照らしていた。空氣は少し冷たいけれど、凄く澄んでいた。買い出しを終えるといよいよ日が沈み、段々と地平線と空との境目が分からなくなっていった。ちょうどその頃、皆んなで轟々と大きく燃え盛る炎を囲んだ食事がスタートした。
友人の1人はおもむろにガンジャを吸うと、煙を静かな夜空へと還した。別の友人に回し、彼もまた同じようにしていた。自分にも回ってくると、同じようにしたが、激しく咽せた。何故、彼ら彼女らは咽せないのか疑問だった。少ししてフワフワとした陶酔感がやってきたが、同時に尿意もあることに氣が付いた。しかし、あまりに日常生活とは違う感覚と目の前の状況に「これはもしかして今夢な中なのでは?」という疑念が出てきた。その疑念と尿意の狭間でそれなりに悩んで考えていた。結論が出ずに、その悩みを友人達に打ち明けると皆んな爆笑した。そして、「大丈夫。ここは現実だよ。」と何度も何度も伝えてくれた。ついに雲の上を歩いているような足取りで、少し離れたトイレへと歩き出した。炎から離れると辺りの空氣はより一層と冷たくなっていて、世界はより一層と暗闇に染まっていることに氣が付いた。それは別世界のようにも感じられてドキドキした。
用を足し、再び炎の元に戻る時、遠くにいる皆んなの姿が目に映った。ある友人はギターを抱えて上手に歌っていた。ある友人達は大声で何かを笑いながら討論してた。ある友人達は微笑みながらヒソヒソと話し合っていた。無数に散らばる星空の下、炎の光に照らされていた皆んなの表情は豊かで楽しそうだった。そして、妙に暖かく美しく輝いて見えた。新鮮な森の香りと木が燃える香り、定期的に轟々と唸る炎の音、そして不定期にパチッ! バチッ!という小さな破裂音が遠くにいる僕の所まで届いていた。その場で1人、ゆっくりと深呼吸した。
生きることとか、人生とかって猛烈に辛い時、苦しい時がある。だけれど、きっと人生自体はそんなに悪いものじゃない。暖かくて、優しい時もある。明るく迎え入れてくれる仲間も必ずいる。絶対に誰もが独りじゃない。もう1度、ゆっくりと深呼吸した。今、この瞬間や体験、出会いや別れは2度とない。その紛れもない事実を思い、感謝と感傷が混じったものを胸に感じた。
