カリブ海の夕陽
日中はあれ程に強烈だった太陽も
ようやく遠のいて、
夕刻が静かに迫る頃には
町を離れて海岸を歩いていた。
日差しが弱くなるにつれ
外に出てくる人々も増える。
鮮やかで綺麗なグラデーションの夕焼け空が
カリブ海に映る。
ゆっくりと深呼吸した。
何をする訳でもなく、
ただボーっとその景色を見つめた。
この海の向こう。
あの水平線のずっと向こうに
僕の生まれ育った国と家がある。
家族や大切な人々達も暮らしている。
ここは夕方で、
あっちはそろそろ朝になるのだろうか。
随分と遠い所まで来ているのに、
目の前には多くの人が羨むカリブ海の
夕日があるにも関わらずに、
頭の中では故郷が広がっていた。
不思議な感覚だった。
長い旅生活の中で染み付いた癖かもしない。
長く家を離れて旅を続けていると
非日常だった旅生活が
いつの日からか日常へと切り替わる。
旅の初期の頃の感動も薄くなっていく。
やはり楽しいことだけでなく、
辛いことも多くなる。
どうしようもなく辛い時や、
ホームシックになった時。
そんな時に「家」を思い出すと
不思議と心が平穏になっていた。
家とは「帰る場所」だ。
慣れ親しんだ家という物質的な場所であり、
慣れ親しんだ人々やコミュニティのこと。
「自分には帰る場所がある」
この事実が過酷な旅生活の中でいかに強く
僕を助けてくれたことか。
歩み進む為の力となったことか。
旅の疲れが溜まっていたのかもしれない。
カリブの夕陽が心を素直に
させたのかもしれない。
そうだ、自分には
帰る場所があるんだ。
だから大丈夫なんだ。
いつか帰れる
だから今この瞬間を大事にしよう。
・・・
しかし、こんな遠い場所で僕は一人
何をしているのだろう。
僕は今どこにいて、
どこに向かっているのだろう。
今日、僕は何かを見つけられただろうか。
一人でいる時間が長いからか、
自身と対話をする時間が自ずと増える。
・・キューバ人達もボーっとしている時には
自分自身と会話をしているのだろうか。
かつて西洋人にこの島に無理やり
連れてこられる前に暮らしていた
踏み入れたこともない故郷アフリカに
思いを馳せていたりするのだろうか?
どんな世界が彼らの頭の中に広がっているのだろうか。
キューバの人々は妙に陽気で
人懐っこくてタフに感じる。
それは常に変化の波に
もまれているからかもしれない。
時を遡ると彼らの多くは元々はアフリカなど
各地で暮らしていた。
だがある時、西洋人に支配されこの島まで
強制的に連れてこられた。
そして長い間、
奴隷として過酷な労働と環境を強いられた。
やがてこの小さな島は国に成長したけど、
革命が起きたり、
あの大国アメリカとも戦うようになった。
しかも負けなかった。
その時の英雄達の顔はポスターや写真となって
この国内でいまだによく見かける。
そうやってどんな時も次々と押し寄せる
大きな変化の波に飲まれて、
もまれて、溺れかけて、
それでも必死にもがいたり、
上手く波に乗ってきた。
今、
押し寄せてきている変化の波もまた大きい。
かつての宿敵アメリカと
外交をするようになったのだ。
ラテン音楽に混じって聴こえ始めた
数々の英語の曲。
古臭い八百屋の横には
真新しい西洋風の綺麗なお店。
資本主義の波紋が少しずつ広がっていく。
この国で走り続けている多くの
古いクラシックカー達もいずれ新しいモデルの
車に変わっていくかもしれない。
国も人も変化していくことで生きていける。
もう僕の見たキューバは
無くなっていくのだろう。
いやもっと大きく考えるなら
キューバだけじゃない、、
これまで見てきたもの、
住んでいた場所も変わっていく。
親しんできた人間関係も変わっていく。
僕自身も変わっていく。
慣れ親しんだものが今後はもう無くなる
という事実は、
例え良い方向への変化だとしても
どうしたってそこに大なり小なりの
哀愁を覚えてしまう。
そして新しいものに慣れてきた所で
また変わっていく。。
生きている間は変化し続けていく。
こうしているこの「今」も
変化をし続けている。
今のこの景色も、友人も、匂いも、味も、
音も、変わっていく。みんな、
今この瞬間に存在しいてるだけだ。
そう思うと「今」は
なんては尊いのだろうか。
そして変化していくことで
生きていけるのだから、
変化していくことも尊いことなのだろう。
目を閉じて
大きくゆっくり息を吸った。
大丈夫、
僕には帰る場所がある。
そろそろ日が落ちて夜になる。
今日の夜ご飯は何か温かい
美味しい物が食べよう。
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